JJのこと。
と言っても、女性自身やその派生雑誌の名前ではありません。
植草甚一。文芸・ジャズ・映画の評論をしていたヒト。明治生まれで1970年代に特に注目されていた超モダンなじいさん。
あ、昔は壮年か。
とにかく、たまたま書店で見かけたムック本みたいなものを手にとって、なんだかスゴイヒトなんだと感じて衝動買い。
文字量が少ないこともあってその日のうちに読み終わってしまった。
とにかく、こういう才能があるんだなと。
一見優雅な閑人に見えるのかも知れないけれど、とにかく情報に貪欲、美的センス抜群。
東宝から独立後はいわゆる実業のヒトではないけれど、それでも厳然と実存し、あらゆる人々に影響を与え続けたヒト。
江戸川乱歩とまでは行かないまでも、相当な質量のスクラップブック。
センスを活かしたかなり前衛的なグリーティングカードの数々。(もちろん、商品としてのそれではなく、自らが知人に送っていたもの)
膨大な読書量。それも大半洋書(おそらく)。
何となく、趣味嗜好という意味では、勝手に共感するものだけれど、しかしインプットもアウトプットも、圧倒的に質量が違う。
いかに自分が半端モノか思い知らされるというもんだ。
そうしてみると、もっともっとやらねば!と思うのだなぁ。
書を捨てよ、町へ出よう
『劇場とは、施設や建物のことではなく、劇的な出会いが生成されるための「場」のイデオロギーのことである。
どんな場所でも劇場になることができるし、どんな劇場でも劇が生成されない限りは、日常的な風景の一部にすぎなくなる。』
寺山修司の言葉。
この思想に遵って、実際彼は演劇を街頭に解き放ったワケですが、個人的な興味から、音楽の世界はどうなんだと。
確かにストリートミュージシャンは増えた。けれど、多くはヴォーカリスト、シンガーソングライター。
稀に民族音楽系やJAZZのインストもなくはない。
けれど、クラシックは更に少ない。以前、異邦人のヴァイオリニストを見たことがあるけれど、日本人ミュージシャンがってのは見たことがない。(たまたま?)
ボクは今こそクラシックがブルジョア的イメージの殻、敷居の高いコンサートホールの殻を破って、街へ出てよいのではないかと思っています。
そこまで行かなくても、貧乏な演劇集団は倉庫を借り、装置を自作してでも公演をします。
クラシックの音楽家、あるいはその卵たちは?
ビルのエントランス、休日や昼休みの公園、駅のコンコース...企画屋に任せず、自ら場を演出することから始めてみたらどうなるだろう?
HOME
前のページへ